第六課 早く早く 本文 軒を並べる本屋にさまざまな雑誌がある。月刊誌、週刊誌、季刊誌。 特に多いのは月刊誌であるが、たいてい実際より早く出る。 十月号が出るのは十月でなくて九月である。時には八月のうちに出たりする。 中の記事はすべて十月にふさわしい記事である。 「十月の料理」「秋のおしゃれ」「スポーツの秋」「読書の秋」等々。 読み終わって目を上げると、真夏の太陽がギラギラと光っている。 テレビのコマーシャルも早めに出る。 まだ暑いうちから、「そろそろ寒くなりますから、暖房器具のご用意を」と呼びかける。 正月が終わるやいなや、ひな人形の宣伝が始まる。 マスコミが四季の移り変わりを早め早めに教えている。 現実の季節とマスコミの季節と、二つの季節を同時に経験する生活は、精神的に忙しく、疲れる。 ある心理学者な調査によると、母親が幼児に対して使う言葉で最も頻度が高いのは「早く」だそうである。 「早く起きなさい」「早く食べなさい」「早く着がえて」「早く帰るんですよ」と母親は幼児を急き立てる。 今や幼児だけでなく、成人までマスコミの「早く早く」に急き立てられている。 「急がないで、ゆっくり」という声を耳にすることはあまりにも少ない。 会話 (一)(知人同士の会話。電車のプラット・ホームで出会った男女。Aは男、Bは女。) A それ、何の雑誌ですか。 B あ、これ、料理の雑誌です。 A 美味しそうな料理の写真がたくさんのっていますね。 B ええ、きれいでしょう? A 十一月の料理――え、まだ九月の終わりじゃありませんか。 Bそうですね。でも、雑誌ってみんな早く出ますからね。 A それにしても、ちょっと早すぎますね。 B そうですね。 A あまり早いと、実際と合わないんじゃないでしょうか。 B そうですね。おしゃれの記事なんか、変に感じることがありますよ。 A 例えば? B 少し涼しくなったと思う頃、毛皮のコートの写真がのっていたり。 A 何だか宣伝に急き立てられてるみたいですね。 B ええ、テレビのコマーシャルもそうですものね。 A そうそう、お母さんが小さい子供に言う言葉で、一番よく使うの、なんだと思いますか。 B さあ……。 A「早く」だそうです。 Bそういえば、母親ってよく小さい子供に「早く早く」って言いますね。 A 僕も子供頃よく言われたと思いますよ。 B わたしたち、子供の頃から急き立てられるのに慣れてるのかもしれませんね。 あります そうですね。あ、電車が来ました。 B 今にアナウンスがありますよ、「お早くお乗り下さい」って。 A そうですね。急ぎましょう。 (二)(夫婦の会話。それぞれ新聞を読んている) 妻 あら、これ、見て。 夫 なに。 妻 これ、これ。 夫 この冬の暖房器具、お買い得……。 妻 ええ。 夫 まだ涼しくなったばかりじゃないか。 妻 でも、もういろんな冬のもの宣伝してるわ。テレビなんかもっと前からよ。 夫 冬はまだまだ先だよ。 妻 まだ早いからといって、買って損をするわけじゃないでしょ。腐るものじゃないんですもの。 夫 そりゃそうだけど、後になったら、もっと安くなるかも知れないよ。 妻 安くなるかも知れないけど、いい物がなくなってしまうかもしれないわ。 夫 この前もそう言ってワンピース買って後で安くなったといってがっかりしてたじゃないか。 妻 あれは例外よ。 夫 とにかく、宣伝に乗せられるのは損だよ。もう少し待とうよ。 妻 急に寒くなったらどうするの。 夫 その時は我慢するさ。 妻 そう。じゃ、厚いセーターを買っておこうかしら。 夫 僕も欲しいな。 妻 いえ、我慢強い人はいらないでしょ。 応用文 忙し毎日 朝七時半、市内へ向かう道路は、通勤の車でもう込み始めている。 今日一日のストレスの始まりだ。 この間のように高速道路で事故でも起これば、会社に着くのが一時間以上は遅れてしまう。 そんなことを考えているといらいらし、ついたばこに手が行く。 そうだ、医者に早くたばこをやめるように言われていた。 信号で止まった。鏡に映った後ろの車の男もたばこを吸っている。 彼はやっぱりストレスで胃が痛むことがあるのだろうか。 今日も急いで出かけてきた、起こるとすぐ、トーストにコーヒーの簡単な朝食を済ませ、朝刊にさっと目を通し、家を出る。 子供たちはまだ昨日の晩帰った時と同じようによく眠っていた。 子供たちの顔がゆっくり見られるのは一週間に一度ぐらいしかない。 それなのに、その大事な休みの日さえも、会社のゴルフなどでなくなってしまうことが少なくない。 昨日も忙しい一日だった。午前中は、いろいろな手紙やレポートなどを読んだりして終わってしまった。 午後は昼食をとりながら会議が一つ。 客との契約が済む。次にまたほかの会議。事務所での仕事はこれで終わりだった。 五時半、部長の代理で「中小企業・青年経営者セミナー」の会議に出るため、会社の近くのホテルへ行く。 会議の途中で、約束のあった客を迎えに部下と一緒に駅へ向かう。 客に会った食事をし、その後はいつものネオン街へ。接待は嫌なものだ。 本当はやりたくないのだが、これも商売をうまくやるための一つの潤滑油なのだからと諦めている。 十二時近く、客をタクシーに乗せ、自分も別のタクシーを拾った。 タクシーを拾うのにひどく時間がかかった。みんなが競争のようにしてタクシーに乗っていく。 家が遠いのは誰でも同じなのだ。 三年前に都心から電車で一時間半ほどの所にある一戸建ての公団住宅だ当たって、やっと手に入れた家に向かう。 会社に近い住宅に住めばずっと便利なのだが、子供たちを少しでも広い所で育てたいと思うと、これも我慢しなければなるまい。 今の給料では家のローンを払うのも大変だ。 この物価高の世の中、家族を支えていくのも楽ではない。 この間買った宝くじでも当たればなあ。――午前一時前やっと家に着いた。 妻の出してくれた茶漬けをすする。一日で一番落ち着く時間だ。 しかし、これだけでは十分なストレス解消にはならないのだが。 ……おっと、後ろの車がクラクションを鳴らしている。 信号は青に変わっていた。おいおい、お互い様じゃないか。 そんなにいらいらしたところで早く行けるわけじゃない。さあ、今日も一日頑張ろう。 単語 本屋 月刊誌 週刊誌 季刊誌 時には 太陽 ギラギラ(と/する) 光る 暖房器具 呼びかける 移り変わり 精神的 心理学者 母親 幼児 頻度 声 急き立てる 耳にする あまりに 男女 毛皮 あら 損 ワンピース(one piece) 例外 兎に角 乗せる 我慢強い 苛々(と/する) トースト(toast) 朝刊 それなのに ゴルフ(golf) 契約 代理 中小企業 セミナー(seminar) 部下 ネオン(neon) 商売 潤滑油 諦める 拾う 一戸建て 公団住宅 社宅 宝くじ 茶漬け すする クラクション(klaxon)