今年の夏、私は臨時のアルバイトでプールの監視員をしている 夏休みの小学校、解放プール 赤い帽子を被った子供たちは、私を先生と呼ぶ そんな子供たちを、時々ぼんやりと見つけてしまう 父が死んだことが、これほど心に影を落とすとは思わなかった 幼いころ、母と私を捨てた父。父は… 勝「うわー、先生!先生大変だよ」 スミレ「どうしたの勝?」 勝「見てよ」 スミレ「え?」 勝「あれ」 スミレ「あれ?」 勝「プールの底に、何かいるんだ」 スミレ「何が?」 子供たちを掻き分け、プールサイドにタップ 黒い影が、水の底を行ったり来たりしている 勝「海豚みたいだ」 その突然の侵入者は、真っ黒に日焼けした青年だった。 武「っぷぉ…」 スミレ「何やってるの?」 武「潜水…」 スミレ「そうじゃなくて、ここは小学校のプールで今は子供たちの時間なの。さぁ、こっち上がって」 武「っふぅ…」 スミレ「誰の許可もらってるの?」 武「許可…」 スミレ「早くあがって」 武「ん、あ」 厚い胸板に、長い睫毛、髪から滴り落ちる水滴な煌めき 向き合って立つと、背が高い スミレ「今すぐ出てって」 武「あんなに熱いから、俺、泳げるところをずっと探してた」 大きな瞳は、泣いたように赤く潤んでいた 武「っは、すいません、何だか、よくわからなくて」 スミレ「分からない?」 武「東京が、よくわからなくて」 スミレ「東京が?」 武「昨日着いたんだけど」 スミレ「着いたってどこから?」 武「屋久島」 スミレ「屋久島?」 武「そ!」 スミレ「屋久島って、鹿児島のもっと南の?」 武「海に浮かんだ、アルプスみたいな島。海はエメラルド色でさ、俺、もう今すぐに水の中に飛び込まないと、息が出来ない気がして」 スミレ「からかってるの?」 武「どうして?どうして俺は、あんたをからかうの?」 スミレ「っは、いいわよもう」 武「おかげで、生き返った」 スミレ「とにかく此処は…」 勝「先生、もう休憩時間終わり?プールに入ってもいい?」 スミレ「うっんっああ、そうね、さあ、みんな、いいわよ」 武「はい」 スミレ「ちょっと、あなたはダメよ、ちょっと、ちょっと待って!」 それが武との出会いだった 【插入曲start】 【插入曲end】 私は、その青年と氷小豆を食べた 武「冷てぇぇぇ、あ、あったま痛ぇぇぇ」 スミレ「ね、私の話聞いてる?」 武「聞いてるよ、もう休憩時間に飛び込んだりしない」 スミレ「あのね…」 武「先生は、何を教えてる?」 スミレ「私は先生じゃないの、ただのバイト、私にはあの子達を守る責任が…」 武「子供って可愛い?」 スミレ「別に…」 武「名前は?」 スミレ「え?」 武「先生の名前」 スミレ「スミレだけど」 武「俺武、スミレか、いい名前だ」 スミレ「そうかな」 武「ね、書く物持ってる?」 スミレ「え?うん、はい」 武「サンキュー。ほら見て、いい?さ、読んで」 スミレ「英語?スマイル」 武「そ、綴り、見てご覧」 スミレ「s、mi、le、スミレ」 武「ね?いい名前、誰が作ってくれたの?」 スミレ「誰だっていいでしょ」 武「教えてよ~」 スミレ「父よ、父の実家がお花屋さんだったの」 武「そっか、花はいいよな、そそ、スミレは、海と森どっちが好き?」 スミレ「スミレスミレって気安く呼ばないでよ」 武「屋久島には両方あるよ」 スミレ「あのね」 武「日本がギュッと詰まったみたいな島なんだ」 スミレ「行ったことないから分からないわよ」 武「あ、さっきの子供」 スミレ「え?」 武「ほら、窓の外を、こっち見てる」 スミレ「あぁ、勝」 武「あの子は、スミレのことが好きなんだね」 スミレ「どうかしら」 武「スミレにもっと優しくして欲しんだ」 スミレ「あたし子供嫌いだから」 武「なんで?」 スミレ「面倒臭い」 武「どこが?本当は好きだろ」 スミレ「そんなことない」 武「本当に?」 スミレ「しつこい」 武「あのさ」 スミレ「なに?」 武「何でもない。ああ美味しかった」 スミレ「よかったらあたしのもどうぞ」 武「あ、サンキュー」 スミレ「ねぇいい?もう二度とプールには」 武「スミレ」 スミレ「なに?」 武「お父さんは元気?」 スミレ「え?」 武「スミレって名前を付けてくれたお父さん」 スミレ「なんでそんなこと聞くのよ」 武「え?あ、ごめん」 スミレ「ごめんね、なんかあたしって怒ってばっかり」 武「スミレに見せたいな、屋久島の海、綺麗だよ、本当に」 【插入曲start】 どこまでも続く海岸線 打ち寄せる波に素足洗われながら 幼いあたしは待っていた あの人が追いかけてきてくれることを 私は、あの人を待っていた 武「スミレ?どうしたの?何考えている?」 スミレ「色んな物を置いてきたの、色んな物を忘れてきたんだ」 次の日も、また次の日も武はやってきた、彼は子供たちに泳ぎを教えた 【插入曲end】 武「水を掴んで、引き寄せる、掴んで、引き寄せる、水と喧嘩しないで、水とお仲良くして」 スミレ「上手いのね」 武「海で育った漁師のようで」 スミレ「違う、教えるの上手」 武「スミレも泳がない?」 スミレ「私は監視するのが仕事なの」 武「休憩時間ならいいだろ?」 スミレ「私はいいの」 武「な、ちょっと手貸して」 スミレ「え?」 武「さ」 スミレ「一人で上がれないの?」 武「小っちゃい手だな。それ!」 スミレ「ぎゃ!?」 【插入曲start】 久しぶりに水に体を委ねた いつまでも、どこまでも泳いでいける気がした このまま体を沈めていたら、ずっと、ずっと昔の記憶に辿り着けそうに思った 武「スミレ」 スミレ「なに?」 武「気持ちいいだろ」 スミレ「うん」 武「な、お願いがあるんだけど」 スミレ「なに?」 武「緑のあるところに行きたい、どこか知ってる」 スミレ「私の家の近くに、好きな並木道があるけど」 武「連れてってくれる?」 スミレ「うん」 【插入曲end】 武「空が高いねぇ」 スミレ「そうかな」 武「屋久島の空はもっと高いけど」 スミレ「そぅ」 スミレ「なんだか、あたし」 武「なに?」 スミレ「何でもない」 武「な~に」 スミレ「屋久島に行けば全てが解決するみたい」 武「あっははっは、スミレはおかしいね」 スミレ「え?」 武「全て解決したいんだ」 スミレ「そうよ?」 武「あ、あの白い花、桜躑躅に似ている、この先にガジュマル公園があったらいいな」 スミレ「そんな大好きな屋久島なのに、どうして今東京にいてるの?」 武「太忠岳っていう山の天辺にさ、大きな石、天柱石っていうんだけど、それが、突き刺さてるんだ。大きな石が、山の天辺に、それがさ、それが…」 スミレ「武?」 武「大きな、墓石みたいに見えて…」 スミレ「どうかした?」 武「人間にはさ、動かないと、先に進めない時があるね」 スミレ「武?ね、いつまでこっちにいるの?」 武「あれ?」 スミレ「ん?」 武「向こうの方に見えるのあれ、東京タワーだよね?」 スミレ「へ?ああ、そうね」 武「こんなに離れてるのに、見えるんだ」 スミレ「どうしたの?登りたいの?いいわよ、東京見物に付き合ったげても」 武「いいや、やっぱ、やめとく」 スミレ「そう?」 武「あ、もうすぐ雨が降るよ」 スミレ「こんなに良天気なのに?」 武「匂い、しない?雨の匂い」 【插入曲start】 その日、武は泳がなかった プールサイドに腰掛けて、ずっと子供たちを見ていた スミレ「武、あとで氷小豆をご馳走するよ?工事代」 武「今日は、教えていないよ」 スミレ「ね、どうしてかな?」 武「ん?」 スミレ「どうして、私はあなたに嫌な感情持たないのかな?」 武「それは…」 スミレ「それは?」 武「スミレも、笑顔をなくしてるから、スマイルのくせに」 スミレ「へ?」 武「似てるからだろ」 【插入曲end】 スミレ「武と私が?」 武「あぁ」 スミレ「似てないわよ、自分でもびっくりしてるんけど、あたし、全然だめなの」 武「だめ?」 スミレ「小さい頃、母と私を捨てた父が、死んだの。父なんていないと思ってたし、何てことないと思ってたんだけど」 武「家族が死んで何てことないなんて、そんなわけないだろ」 スミレ「家族じゃないわよ、とうに家族なんかじゃなかったはずなのに」 武「死ぬって、嫌だな」 スミレ「子供たち見ると色んなことを思い出すのに、あたしこのバイトやってる、バカみたい。武は私みたいなへなちょこじゃない、全然似てない、私と武はちっとも似てない」 武「俺、明日屋久島に帰るよ」 スミレ「え?明日?」 武「早々友達のところに厄介になるわけにもいかないし」 スミレ「明日って…」 武「いろいろ、ありがとう」 スミレ「武…」 武「帰らなきゃいけないんだ」 スミレ「そう…」 武「また、会えるといいね」 スミレ「そうだね」 武「スミレ」 スミレ「なに?」 武「初めての空の下、初めての風を感じて、初めての人に会う、それは、素敵なことだよ。そうだ、これ、やるよ」 武の大きな手が、私の手を包んだ 掌の上にはブレスレット、木彫りの海豚が付いている スミレ「ありがとう」 武「初めてだね」 スミレ「へ?」 武「笑ったの」 スミレ「えへ」 ゆっくり去っていく武の広い背中 行かないでって叫びたかった でも、声は出なかった 武を包み込む空は、悲しいくらい真っ青だった 【插入曲start】 【插入曲end】