「ヒマだねー」ってよく 言われるぼく 言われると確かにそう思う 気がつくと何だか罪悪感 感じてる自分こそなんだ そもそも「ヒマ」って言葉自体 まずいい意味では使われない 辞書でヒマってひいてみた これもまあ ヒマのなせる業 ヒマ=自由な時間 仕事や 義務に拘束されない時間 確かに その人にしてみれば ぼくはヒマに違いなかったが その間ぼくはテレビを見たり ファミコンしたり本を読んだり 時間について考えたりしながら ぼくはぼくのヒマを過ごしていた そんなヒマあったらって言うが みんなヒマは嫌いなのか ヒマはダメか?悪いのか? そんなに嫌か?ヒマが 超忙しくて もーヒマがなくて とか言ってる人にかぎって さらに忙しい休日を 過ごしていたりするだろう なぜいそがしくするのだろう 何もしないでいられないのだろう 何もしない不安それは何だ 恐いのはただただある時間 縮める事も のばす事も ましてや 消すことも不可能 すべてのものに同じだけの 時間が与えられてるとしよう そうなってくると 恋愛 ファミコン 仕事 その他諸々 かなり思いがけない事だが 人は 必死で ヒマをつぶしてるだけだ んーっじゃあ ぼくらみたいな ヒマに見られがちな人達が 見下されてる気がするのは どういう事だ? パッと見 生産的なもの以外は 無用だとでも言うのか あんまりだ そりゃちと強引だ いそがしposseはいつもこうだ 本来 ヒトはヒマだった そして それを受け入れる事が出来た 世界中のいたるところ その足あとを 見つける事が出来るだろう 大仏 ピラミッド 巨乳 万里の長城 この世の多くデカいものの 発想自体 ヒマのたまもの 地図を作ったやつのゆとり なみたいていのものではあるまい うるう年に気づいたやつのヒマさ かげんを想像してみろ また かつて海の塩分を 1パーセント上げようと 何千トンもの塩をあつめた 男がいたとかいないとか ほかにも奇行愚行の結果 最終的には何も残さなかった 多くの愛すべきヒマ人たちが いた だろう たぶん な!! これらの事からもハッキリ言える 今の人がヒマを受け入れる 事が出来なくなりつつあるなら それは能力の減退だ 減退はいかん くいとめるのだ ヒマ人どもよ立ちあがる時だ ヒマを見つけて ヒマを知れ ヒマを生きぬく強さを持て 一生 棒にふるぐらいの ヒマと ゆとりを持って進もう 人の数だけヒマはあるのだ それこそあたりまえの事なのだ