A子は死ぬ程愛しているB夫に、 とある喫茶店で「別れてくれ」と言われた。 「僕はC子ちゃんという子のことを好きになっちゃったんだ。 ごめんよ。悪いけど、別れてくれ」 A子はガーンと、きた。悲しい。泣いた。 「な、泣かないでくれ、 君に泣かれると、つらい、やはり、うーむ」 偽りの愛の言葉を言うことは、もうできなかったが、 B夫はやさしい男だったので、 A子の悲しみを、少しでもなぐさめてやりたかった。 「……そうだ、お別れに、ねっ、 お互い、大切なものをひとつ、交換しよう。 で、記念に、ずっと持っていよう。ね、そうしよう。 明日、最後にもう一度ここで二時に会おう。 そんとき持ってきてくれ。ねっ、ねっ」 いつものA子なら、 「あっ、やっぱりB夫ってやさしいなあー」 と、素直に思えたであろう。 しかし、ふられた女の心理は、 普通の女の子を、呪われた悪魔に変えてしまう。 もう既に、A子はB夫を憎み始めていた。 A子は顏をあげた。 「……わかったわ。 明日、お互いの大切なものの交換が終わったら、 私はあなたをあきらめるわ」 「わーわかってくれたのかい、A子! 君は僕なんかより素敵な男をさがして、幸せになっておくれ。 それじゃ、今日はさよなら!」 B夫はホッとして、逃げるように去って行った。 その背中を見つめながら、A子はニヤッと笑った。 次の日の、同じ喫茶店。 A子は少し早めに来ていた。B夫が、来た。 「やあ」「どうも」 「持ってきたかい?」「ええ」 A子の目は、赤く充血していた。 B夫は、やはり罪悪感に駆られ、思った。 (ゆうべ寝ずに泣いていたのだろう…… かわいそうだが、仕方ない) B夫は振り切るように、 「さあっ、僕のは、これだよ。 父が昔、ドイツの骨董屋から買ってきてくれた古い萬年筆だ。 とっても大切にしていたんだよ。でも、君にあげようね」 B夫がさし出すと、A子は受けとった、 「ありがとう」今度はA子の番だ。 「私のは、これ」 A子は、増々目を赤くして、白い小さな箱をさし出した。 「何だろう」「あけてみて」 それは、あぶら紙に包まれた、A子の人さし指であった。 「ギャッ!」 B夫は、眼球が落ちそうなくらい、目を見開いて、震えた。 さらに目を充血させて、A子は言った。 「私の、大切なものよ、わかるでしょう。 ゆうべ切ったのよ。いやー、痛くて痛くて」 A子はもう、正気ではなかった。 A子のその声は、いつになくバカでかく、 そしてやはり震えていた。 「激痛ってこのことを言うのね。 家からこのキッサ店への道順もわかんなくなったくらいよ。 でも、約束の一時間前に家出たから、 逆に早く着いちゃって、エへへへ」 A子はもう、自分で何を言ってるかわからなくなって来た。 そして、B夫には何も聞こえてはいなかった。 ただ胸が速く鼓動を打つのだった。 「私ね、これないと、いろいろ困るんだけど、 大切なものって言うから、これをあなたにあげるわ。 ないとほんとに困るのよ、大切なのよ、これ……」 と、A子は白い箱の中味を指さそうと、した。 「あああ」B夫はうめいた。 A子は指さそうにも、 その指は、当の箱の中にあったのである。 「ほら、もう困るわ」